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「いや、これはだめですよ。こりゃ僕のじゃありませんからね」
そして、それらが、いつまでも続くために、
「いゝえ。日本人です。L-InstitutPasteurで為事をしている学生ですが、先生の所へ呼ばれたといふことを花子に聞いて、望んで通訳をしに来たのです。」
かつて、わが家のあったのは、この路地の中だと、さすがに見当はついたが、しかし、わが家の姿は勿論、妻や子の姿は、どこへ消えてしまったのか、まるで見当がつかなかった。
「京都もやられたさうですね、あれに」
「私、京都ですの。沼津の田舎へ疎開していたのですけど、これから……」
(それこそ、二人は相逢ふの遅きを怨むといふほどでしたよ、)といふ形容詞を用ひて皆を笑はした。
*Weyl-GravitationundElektrizittはこのことを説いている。
伝承性としての教導性と誘導性としての夫とは、一応このようにして区別されることが出来ると思う。但し後者は前者よりも一般的であったから、学問性のもつ教導性として、場合によっては、誘導性のみを理解しても差閊えないであろう。そこで人々はこう云うかも知れない、このような意味で――誘導性という意味で――教え得るという性質は必ずしも学問に固有であるのではない。芸術も(絵画でさえも)或る意味に於て、但し無論第一の意味でではなくして第二の意味に於て、教え得られるではないか、と。というのは、どのような芸術作品も観照者をしてその作品そのものの理解にまで通達せしめる通路を用意するのを怠ることは許されないのであって、この通路に或る意味に於ける異議と曖昧――其は学問の場合の夫とは異って好い――とが横たわっているのであっては、その作品はそれだけ完成を欠いていると考えられねばならないからである。処が吾々はそのような故障をとり除くために、恰もかの説明し得るという規定を思い出す必要がある。学問性の有つ教導性は、言葉を以って説明することによって理由を与え得る、というそれでなければならない。之に反して例えば芸術の教導性は決してこのような説明を与えるものであってはならない筈であろう。そしてアリストテレスによれば、教え得るということはただ聞き得るという条件に於てのみ結果するのである、聞き得るとはこの場合無論言葉をであって単なる音をではない。故に教え得るとは今の場合、向の意味に於て、説明し得るという事に他ならないのである。芥子が眠りを、梟が賢さを、何かの意味で説明するとは云っても、何より先にそれは言葉による説明ではない。詩の言葉と雖も説明するものである筈はない。そして神話に於ける言葉でさえ、説話ではあっても多くまだ説明ではない、――説明は理由を語ることであった、そして神話は多く理由の代りに伝説を語るものだからである*。併し吾々は何も、この教え得る(説明し得る)という規定を以て学問性を定義しようとするのではない。云い換えるならばこの規定によって学問性を規定し尽そうとするのではない。そのようなことは不可能であるであろう。ただ吾々はこの性質を以て学問性の最初の一つの規定としようと云うまでである。であるから、たといこの規定が学問性全体を蔽うのでなくても、少くとも、この規定が学問以外のものにぞくさないことが明らかとなるならば、それで充分なのである。さてこのような意味に於て、そしてただ今云った意味に於てのみ、学問性はまず第一に教え得ること――教導性――である。
彼女は窓の上に手を掛けて、機械体操の要領で足をそろえて窓の外へ出そうとした。
私は仕方なしに、また、祝杯を挙げた。
われわれの生活が、現在のようなものである限り、私は、はつきり申していいと思うのでありますが、今直面してをります国家の危急を立派に切り抜けることは覚つかないと思ひます。日本はどんなことがあつても戦ひに敗れないといふ信念は、信念としては国民ひとしくこれを有つてをりますが、また事実としても、日本人にとつて一番大事なものだけは失はないといふ意味に於てそれは実証されるでありませうが、しかし、今度こそは、うつかりすると、その次ぎに大事なものぐらいは失はないと保証できないのであります。
(三)朱子語類卷第八十二に左傳是後來人做。爲見陳氏有齊。所以言八世之後。莫之與京。見三家分晉。所以言公侯子孫必復其始。
大里細木君、どうも先生、すこし興奮してるやうだが、なんとかならんかねえ?
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