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二人の手と手は火鉢の上で絡みあつた。
吾々は今学問が何であるかをさし当りの問題にしようとは思わない、そうではなくして学問とは一応区別されたる、学問をして学問であらしめる処の学問の在り方(Wesenheit)――学問性――だけを分析して見れば充分である。それであるから例えば学問は諸々の概念の分類と結合とである、というような立ち入った説明は今の吾々の問題には直接に関わりを持たない*。又学問が何を求め何を研究するかということ、例えばそれは事物の原因・原理を研究するというような主張も之を顧みる必要はさし当りない**。吾々が今必要とする処のものは、このような原因、このような原理が、どういう条件に於て求められ研究される時に、その追求なり研究なりが学問的となるかという、その条件なのである。そして学問性が何であるかはおのずから学問が何であるかをも明らかにする出発であるであろう。
禹稷皐陶三后佐唐虞、禹讓稷契及皐陶、堯舜之道、惟禹皐陶見而知之、此萬世所共聖、殷本紀述湯誥曰、古禹皐陶久勞於外、四涜已備、萬民乃有居、后稷降播農殖百穀、三公咸有功於民、故后有立、書序曰、皐陶矢厥謨、禹成厥功、帝舜申之、作大禹皐陶謨益稷、是三后自古論定、雖湯之興、不敢以契入三后而退皐陶也、乃甫刑忽易以伯夷降典折民爲刑、推爲三后、而皐陶不與、漢楊震孫賜遂以皐陶不與三后、恥拜廷尉之官、不知此甫刑之大繆也、堯時姜氏爲四伯、掌四嶽之祀、述諸侯之職、於周則有申甫齊許、(見高詩毛傳)國語史伯言姜爲伯夷之後、許爲大岳之胤、是甫侯之置皐陶進伯夷、代列三后者、私尊乃祖、假王命以寵先靈、穆王耄荒、誠哉其耄荒也、夫成天地之大功者、其子孫未嘗不淳耀惇大、唐虞夏商周而外、楚爲重黎祝融之後、贏爲伯益之後、而伯益實庭堅之子、禹薦益於天、孰謂大理官不列三后乎、史記秦之先始於大業、大業生大費、與禹平水土、大費佐舜調馴鳥獸、是爲柏翳、舜賜姓贏氏、索隱謂大業即皐陶、大費者伯益、即皐陶之子、又列女傳陶子生十五歳而佐禹、曹大家注、陶子即皐陶子伯益也、至皐陶之後、兼封英六、楚人滅六、臧文仲謂皐陶庭堅不祀忽諸者、猶周公之後自魯外、尚有凡蒋茅胙祭也、漢書古今人表只柏益一人、並無伯益柏翳分二人之説、甫侯自侈其家世、而天之所興、人力不與、伯夷姜氏之後、滅於陳田、卒不能與皐陶伯益爭衡、夫子以秦誓繼甫刑、知皐陶伯益之後、將繼稷契禹而代興也、惟王變而覇、道徳變而功利、此運會所趨、即祖宗亦不能聽其不自變、(書古微十一)
併し学問のこのような――特にコントの――系列的配列はすでにスペンサーによって攻撃されている。スペンサーによれば、学問の歴史的発展が何等そのような系列的順序を有つものではないのみならず、又論理的に云っても事実上の現象から云っても、学問は一般に前後相依存して並列的に一つの系列を造るものではないのである。吾々は茲に学問を歴史的に系列づけることに対する非難と、一般に学問を何かの系列に於て分類することに対する夫とを読むことが出来る。第一の非難を吾々自身先に述べた、第二の非難が次の問題である。例えば、コントの思想をこの点に於て受け容れたと思われるアレキサンダー・ベーンは基礎的諸学問――それは論理学・数学・力学・物理学・化学・生物学・心理学である――を、コントと同じく単純から複雑へ、独立から依存へ、の系列として分類した。又同じくコントの影響を蒙ったと想像されるマーサリクはベーンと略々同様に、その基礎的諸学問――それは大体ベーンの系列の最後に(コントと同じく)社会学を加えればよい――の教職的段階を述べている*。この系列的配列はコントの一面又はプルドンの一面のように歴史的発展の順序では無論ない、そうではなくして現在存在する諸学問の間の系列的分類であるのである。さてこのような系列的分類は、今挙げた或る特定の人々の場合に限るのではなくて、広く一般に多くの人々によって採用されている処であろう**。そしてこれが相当正しい洞察の結果であることを疑うわけには行かない。何となれば、吾々の知識の構造から云っても、又学問の成立の秩序から云っても、諸学問が単純―複雑・独立―依存其の他之に似た関係の順序に立つことは、重大な意味のあるであろう処の事実であるからである。併しそうであるからと云って、この系列を直ちに最も正面的な分類と考える理由は何処にも見出されない。第一にかかる系列的分類は、その分類法を採用する人々自身にとってさえ必ずしも、学問全部に通ずる分類原理によって与えられた分類であるとは考えられていない(マーサリクにとっては基礎的学問以外の学問は系列的配列の内に数えられていない)。であるから系列が諸学問の全面的分類の原理となることは恐らく不可能であるであろう。併しもし仮に之が学問全部に及ぼすことの出来る分類原理であったとしても、第二にその分類原理は非常に外面的でしかあり得ない。成程そのような分類によって諸学問の一応の配列は与えられるであろう。併し注意しなければならないのは、吾々はどのような分類原理によっても、総てのものを一応は分類することが出来るということである。人類は皮膚の色によっても、背の高さによっても、言葉によっても、宗教によっても、其の他何によっても分類されうるに違いない。けれどもそれであるからと云って総ての分類原理が同様に外面的でないと云うことは出来ない。であるから系列によって総ての学問が一応分類され得たにしても、その分類原理が外面的でないことの保証は与えられないであろう。そして実際この場合の分類原理――単純―複雑・独立―依存・其の他――は分類原理として外面的であると云う他はない。その理由はこうである。例えば数学が物理学に較べてより単純でありより独立であるとしよう。系列を以て分類しようとする人々にとってはとりも直さず、この単純さこの独立性が分類の原理に外ならない。処が人々が直ちに思い付くであろうように、数学と物理学とは単に、単純であるか複雑であるかとか、又独立であるか他に依存するかとか、又其の他之に類したこと、によって区別されるよりも、此等の学問の取り扱う世界の性質からして区別される方が、恐らくより内面的であるに違いない。というのは数学は先験的妥当性を有ち之に反して物理学は経験的妥当性を有ち、又前者は可能的対象を有ち之に反して後者は現実的対象を持つ、等々のことを標準としてこそ、両者の区別は内面的であるのである。そうすれば系列的分類は第一に必ずしも全面的ではなく又第二に内面的でもあり得ない。故にそれが学問の正面的分類ではあり得ないことが明らかとなる。
黙っているのが辛くて、分りきったことを言ったが、そこで、私は真面目になった。
戸を開けて這入つて来たのは、猶太教徒かと思はれるような、褐色の髪の濃い、三十代の痩せた男である。
之から先当分、吾々にとって必要なものは、前者の動機ではなくして後者の論理的予想――認識乃至認識論――である。
煙類例の少いことでせうな。
文学者は、或る何等かの壁にぶつかって、虚無のうちに身を横たえなければならないことがある。然しながらこの虚無は、全然の虚無ではない。それは、重大な明日のために、普通の明日を否定することに外ならない。もし「明日」が全然存在しないとしたならば、どうなるか。自殺への途しかないであろう。それは「悪霊」のスタヴローギンの最後の場合である。
興行主は、「新劇」など自分の畑でないと、高をくくつているに相違ない。所謂、歌舞伎、新派に慊らず、久しく劇場に遠ざかつている頼母しい観客層は、早晩、「新劇」が何をしているかを知つて、われらの求めていたものはこれだと云つて呉れる時があるだらう。まだ、それほど大声に喚き立てる時機ではないが、「新劇」がまつたく独力でここまで漕ぎつけたことは、困難な条件を勘定に入れて、もう少し認められてもいいのではないかと思う。
加来非常によろしい。幽明の界といふのはこれかと思はれるほどです。
二十六日夜、セミナー、雨降り、午後和田とtensenstoreでbabyduckを買い、東京から来た豆と一緒に持って行き、自分は若し結婚すれば、決してA以外の人とは仕ないという約束。
しかし、これも自分の仕事と切り離すことの出来ないものなので、折りにふれ時にふれ、それを調べているうちに、ずいぶんとたくさんの髷のかたちが私の脳中に陣取ってしまった。
「杉山節子……?そうだ、たしかそんな名前だった。大阪放管?じゃ、大阪からの放送だ」
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