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物資の不足は、嘗ては戦争の偶然の結果と考へられもしたが、今日では、これがそのまゝ戦争の姿であり、敵の作戦がこれを目的としてをり、われわれがこれに対して戸惑ひすれば、それだけ、敵は凱歌をあげるのであります。
早見呼吸です。呼吸が……苦しいでせう……この心臓では……。さうして、眼を開いていて、眩しくはありませんか?
何が吾々にとって直接であるか。近世の哲学は、主観・自我・意識などを以て之に答えたであろう。併し直接性はこれ等諸概念の何れもが意味する処の或るものである。この或るものを人々は現象と呼んでいる*。直接者が何であるかは判らないとしても、夫はとにかく直接性――現象――であることを確かに語ることが出来る。それ故出発点として、この現象は何であるか、という形に於ける問題を提出することが最も普遍的結果を約束するであろう。現象論一般の必然性は茲にある。
**もし主客の対立から出発する方法を認識論と呼び、窮極的実在を求める方法を形而上学と云うならば、存在論が認識論でも形而上学でもないことは、今や明らかである。
「うん。しかし、蓄音機の前で浪花節を唸ったり逆立ちをしたり、徴発に廻ったりするのが立派な国民というわけでもないだろう」
る男が、次のようなことを私に打明けた。――
この征服の事実は、過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の、人類社会の根本事実である。この征服のことが明瞭に意識されない間は、社会の出来事の何ものも、正当に理解することは許されない。
二十四日ハムプテンのハムレット、和田と三人。(のろのろとして居る和田)和田の不自然な緊張と荒々しさが自分の心を苦しめた。風の激しく寒い日
蚤と蚊とは声をそろえて答えました。
しかし小林がオフェリヤを書いた動機はそれに盡きていない。ゲエテはエグモントを描くために、實際は當時既に妻子のあつた相當の年輩の男だつたのに、自分の戲曲のなかでは彼を若い獨身者として取扱つている。自分に引き寄せたんだ。しかし小林はことさら自分とは似ても似つかないようなオフェリヤを選んでいる。
尤も、仏蘭西あたりでも、仏蘭西人に云はせると、「劇場は次第に教養ある人士を遠ざけつつある」さうであるが、これは比較の問題で、ベルンスタンやマルセル・パニョオルなら、どんな劇場主の懐ろをも肥やし得るのである。
向に、特定の対象に特定の方法が対立すると云った。その時、特定という言葉はただ任意を否定する目的にのみ用いられた。今や之に次のことを付け加えなければならない。第一にそれは唯一を意味するのではない。唯一の対象と唯一の方法とが必ず一対一の関係にあることを必要とすると云うのではない。唯一でなくして幾個でも好いがただ任意の数であってはならないと云うのである。又唯一の甲ではなくして乙でも丙でも好いが、ただ任意のものであってはならないと云うまでである。或る一定された範囲の内に於て対応関係が成り立たねばならぬことを、それは云い現わしていたのである。その範囲が実際どのようなものであるかは問題としないが、少くともこの範囲は任意でも唯一でもない処の一定――特定――でなければならない。それ故第二に、特定とは一定不変を意味してはならない。対象も方法も決してどのような意味ででも不変と考えられるのであってはならない。却って常に運動し得る(変化し得る)可能性を有っていると考えられなければならない。ただその変化=運動が任意の変動であってはならぬと云うまでである。かかる運動は浮動と呼ばれるような運動ではなくして意味ある運動である。自然界の運動に於ても、意味ある運動は名前を与えられているように――円運動とかジグザグとか――この運動も亦後に名称を有つことが出来るであろう。すでに何かの運動が可能であることが必要であった。どのような運動が実際に存在しているのであるか。――私は論理的分析を出発の手懸りとして事実の分析に這入って行くのが目的である。
大里それにしてもさ。まだ現に生きているものを、死んだものとして取扱ふことはできませんよ。
半分かしげた首で、すぐうなずいたが、急にぱっと眼を輝かせると、
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