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方法概念が、最後の根本的な形態として、科学のもつ学問性となって現われることを、吾々は初めに見て置いた。最後に吾々は今この問題を取り上げる機会へ来た。併しこの新しい問題への推移は、科学論の動機からして、偶然ではないであろう。向に科学論の課題が、その内に含まれた困難故に、科学的世界の考察にまで到達しなければならなかった。その時科学論は、科学の現実的内容そのものに立ち入らねばならぬから、実証的となり特殊的となることによって、云うならばそれは前進の道をとった。之に反して今の場合、科学論はそれ自身の動機へ溯ることによって、云うならば背進の道をとらねばならない。科学の学問性は科学のもつ最も観念的な普遍的な性格であるであろう。科学論はその左右両端へ延長される。科学的世界の考察はその一端であり科学の学問性の考察はその他端である。
歴史的事実の選択の原理は価値であったが、価値の評価は経験と共に変化しなければならない。哲学――或いは寧ろ一種の形而上学――にとってでない限り、価値は常に現実的に評価された価値をしか意味しない、そして価値の評価は個人と共に或いは又その他のものと共に、そして終局に於ては時代と共に、変化するのが事実であるから。歴史的事実の選択はそれ故終局に於て時代と共に変化しなければならない。処が事実の選択は同時に事実の因果づけを制約しなければならない筈である。実際、因果づけは価値関係づけの如何によって夫々異るであろう。そうすれば歴史的事実の因果づけも亦時代と共に変化しなければならない。かくて初めて歴史記述は時代と共に変化すると云う言葉が許される。何となれば事実の選択は云わば歴史記述の準備であるのであって、因果づけこそ歴史記述の目的に他ならないからである。歴史はこの意味に於て――増補や訂正を外にして――常に書き替えられるべき運命を有っている。歴史のこの性質は併しながら、歴史が常に現代に関係づけられてのみ理解されるべきであるということを云い表わしているに外ならない*。そして又之は如何に歴史が社会から離れることを許されないかをも物語る――前を参照。蓋し社会から離れて理解された歴史概念に於て、現代とは、容積なき一つの時間点に外ならないであろうから。さて常に書き替えられるという歴史のこの運命を、もし自然科学までもが分つならば、それは自然科学の学問性を破壊することを除いて何物をも意味しない。というのはもし或る自然科学の業績が書き替えられねばならぬものとして見出されたならば、その業績は自然科学の真理としては――歴史的財としては別である――否定されたことを意味するのであるから。処が之に反して歴史学が向に述べた意味に於て書き替えられねばならぬ時、書き替えられるべきものは歴史学としての真理を否定されるのではなくして、単に過去の歴史記述として待遇されるというに過ぎないのである。茲に自然科学と歴史科学との根本的な相違が、学問性に於て見出されるであろう**。そして之は論証的学問性と透察的学問性との区別の他ではない。
ロダンの目は注意して物を視るとき、内眥に深く刻んだような皺が出来る。この時その皺が出来た。視線は学生から花子に移つて、そこに暫く留まつている。
第二部
黙っているのが辛くて、分りきったことを言ったが、そこで、私は真面目になった。
頭がまとまらないとちよつとのことにも気が散りますのね。夕風がね、実は涼しいのこちらの座敷はね、でもさらさらとなどわたくしの袂はなびかないわ。そんな風流な姿態ではないの、私の袂はぶつきらぼうの元禄袖ですもの。
そして、汽車が動きだした。
*Frischeisen-Khler-WissenschaftundWirklichkeit-S.164―175参照。
真夜中である。電燈の直射を布で遮つた薄暗い病室には、今、加来博士の臨終を見守る数人の親しい顔が集つている。
「ミネちゃん、おっさんの子になるか」
女はほっと息をついて、病人の顔をしげしげと眺める。看護婦は扉から出て行く。病人は力ない微笑を窶れた頬に浮べながら、じっと窓の外を眺めている。
卑怯者。
*歴史記述が現代への関係によって制約されることは多くの歴史家の主張する処である。吾々は例えばクローチェを取ろう。彼によれば歴史は夫々の時代の思想・哲学に基いて記述されるべきである。
以上の如き方法を以て他の經籍をも順次に研究し、從つて其間に自然に儒家思想の發展史を見出す事が出來たならば、茲に始めて先秦古籍の研究が完全に出來上るであらうと思う。而して此等の事業は予が吾黨の諸君に向つて厚く望む所である。
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