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一同、居ずまひを直し、頭をさげる。

かかる弊害を予防するためにも西洋の諸国家は、夙に、演劇のアカデミイを設けているのであつて、その内容は、教育機関と、劇場管理の二方面において、国家が財政的負担をなし、民間の専門家をしてその運用に当らしめ、以て「定評ある芸術家」の保護と、教養を求める階級の希望に具へ、更に、油断のならぬ営利劇場への牽制をこれ努めているのである。

こういうことばの中に筆者は自分というものの責任を明かにしている――意識してかしないでか。芥川の作品にひかれる点を率直に示しつつそれをひっくるめて客観的に批判しているそこにある独特さ。

B――そうしよう。……それにもう夜明けだ。

途ぎれ途ぎれに、それは言葉のひとつひとつを探すやうでもあり、また、呼吸の切迫を堪へ忍んでいるやうでもある話し方で、加来典重は、枕もとに坐つている兄の雅重に、言葉をかけている。兄の雅重は、大きく腕組みをし、眼をつぶつたり、急に、カツと見開いたりして、ある感情の激発を強ひて抑へるような身構へでそれを聴いている。

「本まや」

「まあ、奇遇ね。」

頭がまとまらないとちよつとのことにも気が散りますのね。夕風がね、実は涼しいのこちらの座敷はね、でもさらさらとなどわたくしの袂はなびかないわ。そんな風流な姿態ではないの、私の袂はぶつきらぼうの元禄袖ですもの。

「目の前にぴかつと閃いた。……私はすぐ伏せようとした。その時すでに窓はすぽんと破られ、猛烈な爆風が私の体をふわりと宙にふきとばした。私は大きく目を見開いたまゝ飛ばされていつた。窓硝子の破片が嵐にまかれた木の葉みたいにおそいかゝる。切られるわいと見ているうちにちやりちやりと右半身が切られてしまつた。右の眼の上と耳のあたりが特別大創らしく、生温い血が噴いては頸へ流れ伝わる。痛くはない。目にみえぬ大きな拳骨が空中を暴れ廻る。寝台も、椅子も、戸棚も、鉄兜も、靴も服もなにもかも叩き壊され、投げ飛ばされ、掻き廻され、がらがらと音をたてて、床に転がされている私の身体の上に積み重なつてくる。埃つぽい風がいきなり鼻の奥へ突込んできて、息がつまる。私は目をかつと見開いてやはり窓をみていた。外はみるみるうす暗くなつてゆく。ぞうぞうと潮鳴の如く、ごうごうと嵐の如く空気はいちめんに騒ぎ廻り、板切れ、着物、トタン屋根、いろんな物が灰色の空中をぐるぐる舞つている。あたりはやがてひいやりと野分ふく秋の末のように、不思議な索莫さに閉ざされて来た。これは唯ごとではないらしい。」

どのような個人も、誤謬さえ含まなければ必ず同一の論証の結果に到着しなければならない、という意味に於ける普遍性は、なる程透察にはない。併し、二人の個人が、別に誤謬と考えられるような欠点を有たないに拘らず、二人は異った二つの透察に到着することが出来るであろう。相互に相手の透察の誤謬を指摘し得たと考えている時でも、第三者の立場に立って公平に判断するならば、二人が同じ程度に正確な分析によって透察しており、従って夫々誤謬を含むとは考えられない尤もな主張を有つ、場合は事実あるであろう。主義のもつ学問性――真理性――は多くそのような性質をもつ。凡そ理論がもしその個性を意識されるのでなければ主義と名づけられる理由はあり得ないであろう。凡ての人々によって承認され従ってその限り実際個性を意識されないような事柄――例えば地球の回転――に就いて、主義を云々することには意味がない。ただローマ法皇の思想に対してのみ之はガリレイの主義であったであろう。主義――それは透察の一つの性格である――は常に個性的性格的でなければならない。二つの主義はそれ故、それが夫々真理であると考えられるにも拘らず、必ずしも同一であるとは限らない。透察は超個人的普遍性を有たないのか。

かくて学問の分類が、歴史的な系列的分類ばかりではなく一般に、系列的分類そのものに安んじることが出来ないことが見出される。蓋し一般に事物を系列づけることは、事物を分類しようとする動機によるよりも、直接には寧ろ、事物の単なる配列を与えようとする企てによって動機づけられているのが常であるであろう。従ってそれが事物の性格を把握することからは遠く隔っている場合の出てくることは当然であるのである。処が学問の性格を把握することこそ、学問の分類の目的――従って又動機――でなければならなかった。分類はその動機から云って学問の系列として与えられることに満足することは出来ない。学問の系列ではなくして云うならば「学問の樹木」をそれは求める。学問が如何に並んでいるかではなくして、学問が如何に枝さしているかが、学問の分類の課題の真の形態である。

学問の分類という課題は現実の、従って歴史社会的な、諸学問の分類である筈であった(初めを見よ)。そうすれば学問の諸形態の歴史的発展を跡づけ、これから学問の有つ諸時代を画すことによって、この課題が最も好く果されそうに思われるであろう。尤も歴史的発展をただそのまま叙述するのであるならばそれは学問の歴史であって、学問の分類ではないであろう。併し今云うのはかかる学問の中に一定の時代を画し、之に一定の学問の形態をあて嵌めることによって、云わば学問の歴史的分類を企てる場合を指す。之はヴィーコによって創められた。一切の歴史はヴィーコによれば、人間の理解の仕方・知識の形式に従って、三つの時代に分たれる。神祇時代・英雄時代・人間時代。従って学問も亦この三つの歴史的時期によって区分されなければならない。そしてこの三つの時期は人間の理性の発達の程度と順序とによって並べられる。それ故或る時代はこの三つの時期の何れか一つを占めるべきであり、従ってそれ以外の時期は過去又は未来にぞくす筈である。そうすれば学問も亦或る時代に於ては或る時期を占める筈であって、他の二つの時期は過去又は未来にぞくす。であるからこの場合得る学問の分類は少くとも現在現実に存在している諸学問の分類であることは出来ない。学問はその歴史的発展・進歩に於て神祇的・英雄的・人間的に分類されても、現在の学問――仮に人間的な段階にある学問――が如何に分類されるかは、少しも之によって明らかとはならない。処で吾々が学問の分類を企てる動機は、現実にそして現在――何となれば最も直接な現実は現在であるから――存在している異なれる諸学問の間の関係を知ろうとすることにあったであろう。もし仮にただ一様の学問しか吾々の眼の前に与えられてないとすれば、恐らく吾々は学問の分類を求める動機を有たないに違いない。故に今、ヴィーコの歴史的分類は恰も現在の学問を分離することが出来なかったから、この点に於て、それは学問の分類として不充分であることが指摘されなければならない。――無論歴史的分類は学問の分類として決して除外されてはならないであろう。併し歴史的分類から現在に於ける分類へ移ることは少くともヴィーコの立場に於ては――そして次に述べるであろうヴィーコの流れに入る人々の立場に立っては――不可能であることを今述べた。之に反して逆に現在に於ける分類から歴史的分類に移ることは可能である。何となればその時代々々の現在に於ける分類を吾々は歴史的に跡づけることが出来(それは学問分類の歴史である)、之に基いて要すれば学問の発達の歴史的時期を画すことも出来るからである。

先方では、忙しい時に訪問しては失礼だし、仕事中など邪魔してはいけないという、甚だ鄭重な意向であることは、それは分っている。然し僕にしてみれば、如何に忙しい最中でも、いきなり来て貰った方がいい。時日を指定するとなると、手紙では、少くとも中一日くらいの余裕を置かなくてはならない。そしてその時日には、必ず待っていなければならぬ義務が生ずる。そういう義務に縛られることが、僕には苦痛なんだ。それに大抵、そうした時に限って、仕事の予定が狂って、最後のぎりぎりの忙しい場合になっていたり、急に他の用事が出来たり、また、何かしら外出したくなったりするものだ。幾日の何時頃逢いましょうと、そういう予定が立派に立って、そして先方にも無駄足をかけずに済み、こちらでも仕事の邪魔をされずに済み、万事調子よくやっていける人は、実に仕合せだ。

蜆をからごど食つたのは作話としても、田にしを喰べぬはなしは嘘では無い。越後は不思議の國だ。雪はもう溶けるであらう。
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