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「少なくともヨーロッパの四大国民の名は、いずれもみな外国の名である。フランスの名称は、ライン河の西岸に棲んでいたフランク人から来たもので、この国民の祖先たる古のケルト人とは、何の因縁もないのである。イギリスの名は、もとドイツの一地方から来たもので、アングロサクソン民族とは、何の血族上の連絡もないのである。ロシアの名は、もと北方の起原で、スカンジナビアの一民族たる、ロゼルの転訛したものである。プロシャはプロイセンというスラブの一蛮族の名で、十二世紀の終り頃に、ドイツにはいったのである。」

二十八日此日Aは始めてセミナーからAveryに来る。此頃自分はアベレーホールでイジプトの研究をして居たのだ。

細木僕に言はせると、明瞭ですね。こんなに明瞭なことは今までにもなかつたと言ひたいくらいです。

お父さんはもう泣いている。

科学論――之は現在主としてリッケルトによって代表される――の成立の動機を私はまず始めに分析する。

私は一種悲壮な気持ちで、おそく家に戻った。手塚さんを加えた貧しい晩餐は、もう終っていた。私はみんなの平凡な世間話を聞きながら、こそこそ食事をすました。それきり何事もなかったのだ。何事かあるだろうと思っていたのは、私の処女の肉体の空想だ。童貞処女を失った肉体にとっては、たいていのことが可能であろう。しかもその可能性は、四方八方に拡がり得るとしても、つまりは浅薄なものに過ぎない。童貞処女の肉体にとっては、可能性は純潔のカテゴリーの中に制限される。制限されながらも、それは無限に遠く、無限に高く、無限に深く、伸長され得るのだ。生意気でもなんでもない。これが童貞処女の肉体の矜りではあるまいか。私はこの矜りによって、手塚さんへ、あの作家先生へ、その他のあらゆる饐えた肉体へ、抗議を提出しよう。

三宅やす子さんも入らした。加藤弘之先生の許に居らるる時分から素ばらしい手を書いたが、今はペンの外お用いにはなるまい。

学問の――思考のではない――形式を取り扱う学問は形式論理学でもなく又応用論理学でもない。それであるのになお一つの論理学と考えられる理由があるであろう。その理由はこうである。カントの根本思想を借りるならば(この思想が何故今の場合必然性を有つかは後を見よ)、吾々の精神内容は形式と内容との結合として説明される。そして形式は内容の不可欠の条件、その意味に於て論理的予想と考えられる。そうすればこの形式は凡てこの意味に於て論理的でなければならない。そうすれば又学問の形式も論理的でなければならない。そうすれば最後に、この形式を取り扱う学問は今の意味に於て論理学の名に価するわけである。故にもし学問の形式という概念を取り出すならば、それの省察は又一つの――但し形式論理学でも応用論理学でもない処の――論理学であることとなる。思考の論理学――その系列にぞくするものが形式乃至応用論理学であった――に対立する論理学は一般に、客観論理学か先験論理学である。今の場合は先験論理学の名を取ろう。学問形式の理論は先験論理学にぞくする(先験論理学はカントの立場に外ならない)。――処が、学問の形式は、再びカントの立場に立って、学問の方法と考えられる。何となれば形式はカントによれば内容を統制して認識を齎す機能に他ならないが、認識を齎す機能こそ方法ではないのか。学問の形式は学問の方法である。故にカントの立場に於て吾々は次の帰結を得る。方法論――Methodologie-Methodenlehre――は先験論理学にぞくす、と。之が吾々の求めた「或る意味に於ける論理学」であった。故に又科学論は一つの論理学――先験論理学――と見做される理由が明らかとなった*。

早見厳密に言へばさうです。

力はただちに動作となって現れねばならぬ。何となれば力の存在と動作とは同意義のものである。したがって力の活動は避け得られるものではない。活動そのものが力の全部なのである。活動は力の唯一のアスペクトである。

冬菜横になつても眠られませんもの。

対照

二十二日メキシコアリゾナ

A――いや、俺はお前よりももっと広い所に踏み出しているだけだ。お前は何事をも何物をも、自分と他とに対立させて考えている。然し俺にとっては、凡てが自分であって、他なるものはない。俺はこの室にはいってから毎日、あの窓越しに、庭の樹々の梢や青空や日の光や雲の影などを、静かに眺めて暮してきた。そして今では、それらのもの凡てが自分だという心持になっている。昨日だったか、窓の外に雀が飛んできて、其処の窓縁でちゅちゅと鳴いては、また何処かへ飛んでいった。すると俺は、自分自身が雀になって、自由に空中を飛び廻ってる気がした。それは何とも云えない自由な晴々とした気持だった。
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