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最近モスコーの中で個人資本で営業している店が二パーセントに減った。失業者が統計上のみならず、実際的に絶無となり、有資格労働者が十万人も養成されつつあるが、未だ労働力が足りない。若い労働者の間では、専門技術を勉強して資格ある労働者にならねばならぬという熱心が非常に強い。今ソヴェト露西亜では五ヵ年計画が凡ゆるものの根柢になっている。その完成のために五日週間、衝撃隊(生産に従事する労働者の能率増進の特志団)、官僚主義を掃蕩するための軽騎隊などを組織して、工場内ばかりでなく住宅問題、消費組合の問題を扱っている。
早見ここ、痛みますか。
向ふから鳥打を冠りインバを着た男がやつて来た。哲郎はこの男は刑事かなにかではないかと思つた。彼はさうして今女に話しかけやうとしたことを思ひ出して、もしあんな時に追つかけでもしていやうものなら、ひどい目に逢はされたかも判らないと思つた。彼はすこし気が咎めたが、しかし向ふの方に幸福が待つているような気がするので、引つかへさうとする気もしなければ、其処のカフエーへ入らうとする気も起らなかつた。
劇場経営は、もともと企業として、若干の危険率を含むものであるから、たとへ純営利的な立場から考へても、多少の道楽気を必要とするらしい。従つて、その危険率を最も少くするためには、なんとしても、一般大衆の趣味に迎合しないわけに行かず、一般大衆の趣味に最も近い趣味の所有者が興行者として、先づ先づ成功するといふ理窟なのである。
お父さんは一つ大きく息をしたが、雀のことは要領を得ず、きょとんとしている。私は追求した。
B――俺はまだ若い。いろんなことを為残している。これまで為して来たこと、これから為すべきこと、ぼんやり夢想していたもの、はっきり掴んでいたもの、味いつくしていない多くの喜びや悲しみ、自分自身の肉体と精神、自分自身の生活、自分自身の世界、それら凡てのものは、今俺が死んだらどうなるだろう。闇に呑み込まれてしまうばかりだ。それがどうして悲しまずにいられよう。
ペコンと、ひょうきんな恰好で頭を下げたが、しかし、どこか赤井の顔は寂しそうだった。これから大阪へ帰っても、果して妻や子は無事に迎えてくれるだろうかと、消息の絶えている妻子のことを案じているせいかも知れなかった。
戸を開けて這入つて来たのは、猶太教徒かと思はれるような、褐色の髪の濃い、三十代の痩せた男である。
成る程思考は一切の理論的労作に必ず伴うであろう。如何なる理論的な労作も皆思考という形式に於て行なわれる、理論的労作は凡て思考に還元される。併しそうであるからと云って、一切の理論的労作が思考という概念によって理解し尽されるということでは之はない。或る種類の理論的労作――学問――は思考の外に一歩も踏み出さないからと云って、単に思考という概念によって理解し尽されはしない。学問は単なる思考ではなくして或るそれ特有の性格を持った特殊な思考でなければならない――方法的な乃至は体系的な又は一定の対象を有った限りの思考が学問であるであろう。そうすれば例えば学問の形式はなる程思考の形式に従いはするが、併し後者と一つではなく従って後者だけから理解されることは出来ない。そうすれば又学問の形式に就いての学問はなる程形式論理学にぞくしはするが、併し後者と一つではなく従って後者だけから理解されることは出来ない。無論学問の形式から特に思考の形式だけを抽象し独立せしめることはどのような場合でも出来なくはない、そのような結果が形式論理学に於ける向の所謂方法論であったのである。けれどもこの場合問題となるのは実は学問の形式ではなくして、学問に於ける思考の形式に過ぎない。学問の形式と呼ばれて然るべきものはこの場合の問題として這入って来ることは出来ないであろう。思考の形式を取り扱う形式論理学によっては理解し尽されないもの――学問の形式――を取り扱う学問、それはもはや形式論理学ではない筈である。
と、白崎はひそかに呟いた。
息子の四紋と娘のネラ子とが、おそるおそるはいつて来て、父の枕許に近づく。二人とも父の顔を正視できぬやうに、頭を低く垂れている。
「暖いわ、ね、」
そこで首のあたりに束ねて結んだ。そうして働きいいようにしているうちに、女性のこと故、その束ねかた結びかたに心を使うようになった――それが、結髪発達史の第一ページではなかろうかと考える。
「どうもありがとうございました」
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