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処がリッケルトの科学論・方法論は夫々の科学の学問性そのものの考察ではなくして正に二つの学問性の区別を求める処にその特色を有っている。学問性の追求が根柢的な動機ではありながら、この動機は、そのまま現われずに、彼の所謂方法論としての、そして最も直接には分類論としての、動機となって現われていたのである。さてこのような分類の動機は向に述べた処によって、リッケルトの科学論が発生した歴史的条件に由来するに他ならなかった。之はリッケルトの科学論の歴史的なそして全く暫定的な制限であるであろう。この制限を除いて、なお夫々の科学の学問性の分析が、方法論・科学論の最後の形態として残される筈である*。
手塚さんは、膝頭に肱をつき、両手を額にあてて、顔を伏せている。
「……もしもし、放送局ですか。実は今放送しておられる杉山節子さんに急用なんですが、電話口へ呼んで下さいませんか」
二十六日L.A.を立ち、サンフランシスコ着
*カントの言葉を借りるならばHandelndesとLeidendesとの交互作用である。ロッツェの根本概念である処の交互作用も亦、物と物との間の夫である。Lotze-Metaphysik-Kap.6参照。
「どうぞ、御ひいきに――」
「おう、おう、起きたか。」
だが私は、私の肉体は、処女の純潔さを保っている。年若い雛妓のそれとは、同じ肉体でも、香気が違うのだ。饐えた匂いなぞ、みじんもありはしない。
生活の不安は、国民一人一人の心がしつかりと結びつけられていないところから来るのでありまして、日本のような国では、戦さがいくら続いても、例へば欧洲諸国のやうに、国内がまつたく饑饉状態に陥るなどゝいふことはあり得ないのであります。たゞ、現在のやうに、隣人相助けるといふ精神が薄く、誰かゞ困つていても見て見ぬふりをするものがなかなか多いといふ状態では、国民の一人一人が、なるほど安心してはいられないような気持になるのは尤もであります。
「ふしぎだ。君はよく似ている。姉さんか妹さんか、雑誌社に勤めてるひとがいるだろう。いや、ふたごかな。そっくりだよ。」
後に続く三篇は、吾々が実際上出逢いつつある既成の科学方法論に就いて、前の総論で得た結果を実地に検証しようとした不完全な試みに他ならない。私はこの際、リッケルト教授が主として与えた限りの「科学論」を、材料の中心として――決して唯一の材料ではない――選ぶのが適当であると考えた。蓋し科学方法論という問題を吾々に最も著しく意識せしめた功績は、就中教授の科学論に帰せられるべきであろうから。併しその結果、吾々の科学方法論は一つの特殊な視角を与えられざるを得なくなり、そこに於て凡そ提出され得た問題はこの視角によって制限されねばならないこととなった。この視角に於て必ずしも照し出すことの出来ないであろう科学方法論の恐らく幾つかの問題はそれ故、遂に吾々の理論の内容となることが出来なかった、私は之を他の機会に取り上げねばならないと思う。この三篇は特殊個々の歴史的内容を取り扱うのであるから、吾々の理論に於て、特論に相当する位置を占めるものである。
十九日岩本さんが来る。ミスコーフィールドに会って、彼女が私に会いたがって居ることを話すがことわる。
サテチヤウサンハウチニカヘルト、サツソク、ロバニヒカセルクルマヲツクリハジメマシタ。
処がカントの批判主義、之に必然に伴わねばならない形式内容の二元論は、人々が素朴なその限り又実在論的な哲学的学問態度を信じることが出来ない限り、直ちに一応必然である。カント自身がコペルニクス的転回として誇り、又後の所謂カント学徒達によって、往々神経質と思われるまで誇張されるものこそこの必然性であるのである。之によって実在乃至存在の問題も亦認識乃至知識の問題にまで転回される。所謂形而上学乃至本体論は認識論乃至論理学にまで転回される。尤もこの時、問題を一歩進めて、この認識論的立場に止ることが当然であるかないかを問うべき場合に来る筈なのであるが、それは遙か後回しとして、少くとも一旦はこの立場に立つことが必然であるであろう。それ故茲に一切の問いは認識乃至知識に就いての夫として性格づけられる。そうすれば学問も亦之に従って一つの認識――学問的認識――として認識という規定に沿うて性格づけられる他はない。科学論が知識理論(Wissenschaftslehre)として認識論に帰属することは茲に初めてその必然性を有つ。科学論はその理論の論理的秩序に於て、学問的認識の論理学――認識論――として意識される、科学論はこの論理的根柢に基いて論理的に構成される。――之が科学論の第二の動機である。
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