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対象・概念構成・科学的世界・この三つの夫々に基く分類に次ぐものは、学問性によるそれでなければならないであろう。――吾々はこの四つの形態を初めに用意しておいた。

対象の区別を原理として学問を分類することは、従来の学問分類の殆んど大多数を支配する特色である。そしてこのことは決して偶然ではないであろう。何となれば吾々は已に学問がもつ対象―方法の存在論的構造に於て、何故学問が対象によって分類されるのを普通とするかを、理解しておいた筈であったから。事実、学問分類の問題は対象概念と離すことの出来ない対応関係にあると考えられた(之に反して科学論の問題に対応するものは方法概念であった)――前を見よ。併しその時と同時に又吾々は、学問の性格が――そしてこの性格を理解する一つの道が学問の分類を動機づけたのであった――結局はその対象にあるのではなくして、正にその方法になければならない理由をも見た(この理由は方法概念の実践的優越にあった)。学問の分類がより根柢的・性格的であるためには、それ故之は対象による分類から方法による分類へと移り行かなければならない。

「山は遠うございます。海はぢき傍にございます。」

物理的空間は、測定の座標軸を意味した。それはその限り物理学的方法を提供する。処が又之は夫々測定されたる空間座標を意味した。従ってそれはその限り又物理学的対象となる。そして之はそのまま物理的時間に就いても繰り返えされるわけである。物理的空間も物理的時間も方法であると同時に対象である。この事情はミンコーフスキーの世界に於て愈々明白になって来るであろう。世界の変換軸――時間と空間――が測定の方法を意味することは誰にも承認されるであろう。この変換軸によって構成されるべき世界の内容が物理学的対象であることは、世界線の関係が物理的法則を意味することを見れば、明白となるであろう。何となれば世界線は、速度・加速度・力など――それは物理学の対象である――を意味し、その結合が法則――それも亦物理学の対象である――を意味するから。世界は方法であり又対象である。――さてこのような世界の概念は無論科学的手続きによって初めて成立する。従ってそれは必ずしも日常的な直接性をもたず、それであるから往々一つの擬制としてしか受け取られないということも生じて来るであろう。併し乍ら、之を吾々が理解しそれに意味を見出し、そしてそれに吾々の直観性を入れ込むことが出来るからには、ミンコーフスキーの世界が、何か吾々の日常的に通達出来る概念を解説しているからに他ならない。ミンコーフスキーの世界は自然的世界として日常的に理解されているものの科学的解明でなければならないであろう。それは自然科学的世界の、特には物理学的世界の、最も精密な表現でなければならないであろう。この言葉を証拠立てるために、ミンコーフスキーの世界が理論的に発展される時、益々物理的対象としての意味を持って来ることを明白にし、従って益々物理的世界を具体的に表現して行く処の、一例を私は今指摘出来るであろう。

十七日フィティアに行く。

二月八日始めての雪。Averyで、午後こっそりお菓子を買いに行って、来て居た和田とAにあげる。夜九時半頃までSeminarに居てあとは雪の中のキャムパスを歩く。それからフレンチペーストをたべる。

「いや、しかし、勇敢ですな」

「やあ、うちもやられたんですか」

近来は女性の髷もいちじるしい変化をみせて来て、むかしのように髷の形で、あの人は夫人であるか令嬢であるかの見別けがつかなくなった。

最初に述べた或る男は、其後、私に次のようなことを云った。――あの当時僕は、所謂背水の陣を布いて生きていた。この背水の陣というものは、まかり間違えば、凡てを投り出して自殺するというような、そんななまやさしいものではない。異常な「明日」を責任を以て肯定するという、やさしいようで実は非常に困難な覚悟の肚をすえていたのだ。

処が更に、教導性――内容的普遍妥当性――は、学問性のまだ抽象的な規定に過ぎないことを注意しなければならない。尤も其が学問性を完全には規定し尽し得ないからと云ってそう云うのではない。そうではなくして寧ろ教導性概念それ自身の立場から云ってこの規定が抽象的なのである。というのは、教導性の概念は別に如何にして教導性を獲得するかというそれ自身に就いての顧慮を含んだ概念ではないからである。凡そ或る概念を分析する場合、それが観念的に有つ規定ばかりではなく、又それが実践的にもつ規定をも指摘しなければならないとすれば、学問性の概念――それが今は教導性であった――に於て、この教導性概念は学問性の(即ち又教導性自身の)観念的規定のみを指摘するに過ぎないと云うのである。何故そう考えられるかを私は他の概念を借りて明らかにしよう。法概念は人々が常に絶対的にそれに服従すべき筈の規定を持つものと思われる。もし人々が之に服従しないと仮定するならばもはやその概念が成り立たないようなそのような概念で法はあるのである。之は無論之だけとして何の謬りも含みはしないであろう。之が法概念の観念的規定である。処が吾々はこのような云わば自然法概念に対して又、法の歴史的概念を持っているであろう。歴史的法概念に対しては、観念的法概念は必ずしも自分の規定をそのまま強制することを得ないと考えなければならない理由がある。却って何かの非合法的な行為によって――而も法の・正義の・概念それ自身の名に於て――法が歴史的に変革して来たことは事実である。それ故法に対して実践的に取引をしよう――それが法の歴史を成すのである――とする時、事実人々は法の観念的規定だけからは多くを期待出来ないであろう。法の観念的規定はすでに成立せるものとしての、又はその成立の如何を問題にしない理念としての、法を説明することは出来る。併し別に如何にして或る法を獲得すべきかという――而も法概念それ自身に就いての――実践への顧慮を含んだ規定ではないのであるから。このようにして法概念に於て観念的規定と実践的(現実的)規定との対立を分析することが出来ると思われる。そして観念的規定は実践への特殊の顧慮をその内に含まぬ点に於て抽象的であるのである。概念分析の一例として挙げた上の場合はそのまま教導性の概念にも当て嵌まらなければならない。教導性は学問性が何であるかを説明する、そしてその説明はそれだけとしては正しい。けれどもこの概念は別に如何にしてその概念自身を実践的に実現するか――如何にして教導性を獲得するか――ということに関する顧慮を含んだ規定では決してない。教導性はそれ故学問性の観念的規定に外ならない、それは従ってこの意味に於て抽象的規定に過ぎないと云うのである。さて、学問性の(又教導性の)具体的(現実的)規定――それは実践への顧慮を計上した規定である――として吾々は何を持っているか。

われわれの生活が、現在のようなものである限り、私は、はつきり申していいと思うのでありますが、今直面してをります国家の危急を立派に切り抜けることは覚つかないと思ひます。日本はどんなことがあつても戦ひに敗れないといふ信念は、信念としては国民ひとしくこれを有つてをりますが、また事実としても、日本人にとつて一番大事なものだけは失はないといふ意味に於てそれは実証されるでありませうが、しかし、今度こそは、うつかりすると、その次ぎに大事なものぐらいは失はないと保証できないのであります。

久保田が遠慮げにエスキスを見ると、ロダンは云つた。「粗いから分かりますまい。」

髷の名称も時代によって、その呼びかたがいろいろと変っているが、平成の初期あたりから、平成の末期まで結われたものの名前だけでも、たいへんな種類があり、それが関東と関西では、また別々であるので、髷の名称ほど種々雑多なものはない。
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