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A――だがお互に、もう幾日の生命でもない。屹度恢復するなどと、医者は気安めなことを云ってるが、そうでないことを、俺はよく知っている。
加来なにしに来たんだ?死亡通知が行つてからで遅くないよ、陰険なモラリスト。
尤も、仏蘭西あたりでも、仏蘭西人に云はせると、「劇場は次第に教養ある人士を遠ざけつつある」さうであるが、これは比較の問題で、ベルンスタンやマルセル・パニョオルなら、どんな劇場主の懐ろをも肥やし得るのである。
さて論証的学問性を追求する諸科学の内、その代表的なるものは自然科学――特には物理学――である。何となれば自然科学が決定する諸事実の関係は、性格的なる吾々――人々――への意味関係から脱却する処にそれの所謂客観性を有ち、この客観性の把握が先の第一の事実決定の真理に他ならないからである。之に反して透察的学問性を追求する科学の代表的なるものが歴史科学であるであろう。歴史科学が決定しようとする諸事実の関係は、常に性格的なる吾々――人々――への意味関係を保留している処にその特色があるのでなければならない。歴史的世界が人間的と考えられるのは他ではないこの意味に於てである。歴史的世界に在るものは単なる自然ではなくして常に人間の生活であるであろうから。それ故かくて自然科学と歴史科学とはその学問性を異にする。夫々の求める真理は典型を異にするのであり、それであればこそ、自然科学は歴史的世界の生きた内容を理解することが出来ないと考えられ、又歴史科学は自然科学の有つ種類の厳正さ――というのは如何なる科学も或る意味に於て常に厳正でなければならないから――をもつことが出来ないと考えられる。之は夫々の欠点ではなくして、その学問性の――その真理性の――夫々の性格から必然であるのである。二つの学問性の区別を見ることによって、歴史科学と自然科学との性質の相違は根本的に明らかとなることが出来るであろう。今それを見よう。
二十九日シアトル。部屋でdinner
「私、京都ですの。沼津の田舎へ疎開していたのですけど、これから……」
之から先当分、吾々にとって必要なものは、前者の動機ではなくして後者の論理的予想――認識乃至認識論――である。
日本人の生活の黎明は、すなはち、わが光輝ある国体の顕現であり、また同時に、八方の敵を慴服せしめる一大威力であることを、お互にはつきり自覚いたさなければなりません。
「喜久子さん。僕は黙っていようと思ったんですが、やはり、打明けましょう。郷里へ帰って、身体がなおったら、また出てくるつもりですが、それもいつのことやら分らないので、あなたにだけ、この心の中を打ち明けておきたくなりました。どう思われようと、ただ打ち明けておくだけで、僕の気持ちはさっぱりします。実は、僕はあなたの方を愛していたんです。ほんとに、あなたの方を愛していたんです。今でも、あなただけを愛しているんです。こう言っても、あなたの愛情を求めるつもりではありません。ただ、知っておいて頂きたいんです。はじめからあなたを愛していたこと、今もあなたを愛していること、これからもあなたを愛し続けること。それだけを知っていて下さい。分りますね。喜久子さん、分ってくれますね。」
この「大クラブ」は産別は違っても、その地区の住民――勿論労働者だ――は利用することが出来る。例えばある地区に大きな金属産業の「クラブ」があるとすると、その地区に住んでいる繊維の労働者もこれを利用することが出来る。ただ、現在の五ヵ年計画による社会主義都市の建設は、大きな工場を中心として「クラブ」や食堂、病院、学校などを建設して行くから自然産別に於て統一される。
冬菜、電気蓄音機の前に立つて、レコードをかける。
翌晩私は、素面の夜は決して堪へられぬので、泥酔すべき覚悟をきめて村境ひの居酒屋に出向くと、酒場の隅で次のような話に花が咲いていた。(その一節。)
例へば、肉体各部の機能と精神のさまざまなはたらきとを明確に結びつける精神生理学なるものは成り立たないか?そして、からだのある部分の発育、乃至老衰の徴候から、その人間の知能や道義心の程度を推しはかることができたとしたら、これはなかなか画期的な発見にちがひない。
「天上から地上へのぼるために無残にもおれた梯子である」芥川
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