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ところで、そうした危険な場合、大抵は、それは間接的な表現を取る。重大な「明日」の存在が、普通の「明日」の否定を以て表現される。なぜだろう。世間体の故か。一種の体面の故か。或は、直接の表現に堪え得ないような貴重な脆いものがその中に含まっている故か。後になって、そのことを彼に話すと、彼は異様な微笑を浮べて答えた、実生活は文学とは異ると。

透察の普遍性の第二の条件、それは透察が正面的であることを求める。もし事物を任意の側面から透察してよいならば、そのような透察を他の夫に較べて、より包括的・多面的に見せ掛けることは、恐らく容易であるであろう。折衷妥協は恰もこのような普遍性をもつ処のものである。処がこのような普遍性は透察という多面性を保証するどころではなく、却って正にそれの喪失でなければならない。何となれば、事物の本来の性格がそれによって失われればこそ折衷や妥協が批難されるのであるが、事物のこの性格を把握しないような透察は少くとも学問的であることが出来ないから。之に反して徹底の概念は事物の性格を明白にし強度にすることを意味する。それが折衷と妥協とを斥ける点に於て、到底折衷と妥協とがもつかの普遍性をもつことは出来ない、その限りそれは偏狭とも見える理由をもつ。併しこの場合の普遍性が学問性――それが今は透察である――と無関係であった限り、それに反対する意味に於ける今の場合の偏狭も亦、学問性とは関係がない。徹底は透察の学問性に対して、包括性とは系統を異にした寄与をなす。それは事物の性格を把握し出す。事物の側面――それは性格ではなくして偶然な性質に外ならない――をではなくして事物の正面――性格はそこに姿を見せている――を照らす。透察はより正面的であるに従ってこの普遍性を得ることが出来る。徹底の概念がその一例を示している(論証に於ては折衷や妥協は非難される理由がなく、又徹底という概念は無意味でさえあるであろう。論証が厳正であるか否かが論証の価値を決めるのであって、之を他処にして論証が徹底的であるということが何を意味するかを吾々は理解出来ない。事物の性格――正面性――は論証され得ない、透察し得るだけである)。

**比較的この場合に近い例をWhewellに於て発見する。彼によれば学問はそれに含まれた諸観念――空間とか運動とか――によって分類されなければならない。そして彼が一方に於て学問の単なる対象による分類を却けていることを今の場合特に注意しなくてはならない。

と、いうと、なつかしそうに、

こういうのは、比較の問題ではない。絶対的な問題である。

知りたいと思う人達の消息は備後の海に沈んだ或る一人を除いて皆分つた。

透察の正面性と多面性、之が透察に固有な普遍性――客観性――を保証する。このような普遍性は論証に於いて見出される夫――厳正――と一つではない。ただ性格的・個性的なるもの一般に就いてのみ求められる普遍性で之はなければならない。――さてもし透察に今述べられたような普遍性が無かったとしたならば、透察は少くともそれに固有な学問性を充分にもつことは出来なかったであろう。透察的学問性という概念は従って成り立つ理由がなかったであろう。透察に固有な――論証に於ては求められない――普遍性が指摘されたから、今や、透察的学問性は正当な権利を以て存在する。

今日

そして、月日が流れた。

**Hegel-WissenschaftderLogik(phil.-Bibl.)1-Teil-S.35及び2-Teil-S.500.

一、伸子は段々ひきつけられた、

B――お前は極端な虚無主義者だ。俺はそういう虚無主義を憎む。俺に云わすれば、生は凡てであり、死は無である。生きてる間こそ、この俺という者もあり、俺の生活もあり、人生もあるのだ。死はそれらのものを凡て滅ぼしてしまう。生も死も同じだというお前には、生活もなく、人生もなく、お前自身もなく、ただあるのは虚無ばかりだ。

〔欄外に〕插話。講演会。(弘道会)

もしかすると人類は自分の運命を軽く小さく考へ、原子力の渦に巻き込まれてしまふことがないとも限らない。恐ろしいのは多くの人々がまだ原子力の惨禍をほんとに鋭く感じとることが出来ないといふことだ。僕はこの書物が一冊でも多く人々によつて読まれ、一人でも多く「戦争をやめよ」といふ叫びがおのおのの叫びとなつて反響することを祈る。
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