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ウサギノハイツタカゴヲモツテヲリマシタ。
大阪人のつけそうな名前である。「じれった結び」とか、「世帯おぼこ」などというのは如何にも気のせかせかした、また世帯というものに重きを置いている都会生活者のつけそうな名前で、髷の形を知らぬものでも名前をきいただけで、その形が目に浮かんで来るようである。
○レークジョージ○メゾンファシール、○チョプスイ。
今や一般的にこう結論することが出来る。方法概念は最後に、学問性の概念として現われる。ここに現われた方法概念は、もはや単に、任意の対象を取り扱う研究の方法でもなければ、科学的概念構成の手続きを意味するのでもなく、又科学がもつ科学的世界の基礎として現われるのでもない。方法概念のこれ等様々の形態が終局に於てそれに帰着し、又之にその根柢を持っている処の、学問にとって恐らく最も意味の重い方法概念が、学問性であるであろう。
著者
早見気分はどうです?むろん、どうもないわけはないが……非常にだるいとか、むしやくしやするとか……。
今や近代社会の征服事実は、ほとんどその絶頂に達した。征服階級それ自身も、中間階級も、また被征服階級も、いずれもこの事実の重さに堪えられなくなった。征服階級はその過大なるあるいは異常なる生の発展に苦悩し出して来た。被征服階級はその圧迫せられたる生の窒息に苦悩し出して来た。そして中間階級はまた、この両階級のいずれもの苦悩に襲われて来た。これが近代の生の悩みの主因である。
物理的空間は、測定の座標軸を意味した。それはその限り物理学的方法を提供する。処が又之は夫々測定されたる空間座標を意味した。従ってそれはその限り又物理学的対象となる。そして之はそのまま物理的時間に就いても繰り返えされるわけである。物理的空間も物理的時間も方法であると同時に対象である。この事情はミンコーフスキーの世界に於て愈々明白になって来るであろう。世界の変換軸――時間と空間――が測定の方法を意味することは誰にも承認されるであろう。この変換軸によって構成されるべき世界の内容が物理学的対象であることは、世界線の関係が物理的法則を意味することを見れば、明白となるであろう。何となれば世界線は、速度・加速度・力など――それは物理学の対象である――を意味し、その結合が法則――それも亦物理学の対象である――を意味するから。世界は方法であり又対象である。――さてこのような世界の概念は無論科学的手続きによって初めて成立する。従ってそれは必ずしも日常的な直接性をもたず、それであるから往々一つの擬制としてしか受け取られないということも生じて来るであろう。併し乍ら、之を吾々が理解しそれに意味を見出し、そしてそれに吾々の直観性を入れ込むことが出来るからには、ミンコーフスキーの世界が、何か吾々の日常的に通達出来る概念を解説しているからに他ならない。ミンコーフスキーの世界は自然的世界として日常的に理解されているものの科学的解明でなければならないであろう。それは自然科学的世界の、特には物理学的世界の、最も精密な表現でなければならないであろう。この言葉を証拠立てるために、ミンコーフスキーの世界が理論的に発展される時、益々物理的対象としての意味を持って来ることを明白にし、従って益々物理的世界を具体的に表現して行く処の、一例を私は今指摘出来るであろう。
論証的学問性と透察的学問性、之を区別する権利を吾々は得た、そして前者は事実決定の真理に後者は事実解釈の真理に基く。この区別を混同する時、人々は多くの誤った困難を見出すであろう。例えば論証的学問性をもつべき科学に対して透察的学問性――それは性格的であった――を要求する時、その科学の無味乾燥が、非人間性が、何かの意味に於て批難されても好いかのように見えるであろう。併しこのような批難はその科学の正常な感覚を欠いているということを他にして何の意味も無論有たない。又逆に透察的学問性を有つべき科学に対して論証的学問性を求める時、その科学の散漫が、不正確が、批難されるべきものとして現われるであろう。例えば歴史学――それの学問性に就いては今述べる――は科学なりや否や、というような、或時代の題目は、恐らくこのような批難によって促されたものであろう。このような批難は批難するものの誤解を云い表わすものでしかない。その誤解が、今云った二つの学問性の混同であった。
と、停めた。
私は顔を洗い、泣いたらしい眼をよく洗って、さっと髪をなでつけ、お父さんのところへ行ってみた。
*Regulaeaddirectionemingenii参照。
私の祖父は四十年間の日記を殘したが、其中に越後から稼ぎに來た男、名主丑藏方にて初めて蜆汁をふるまはれ、暫くしてあとを盛つてやらうとしたら、澤山です、もう澤山です、どうも固くてと斷るので、見ると殼ごと喰べたのだと書いてある。丑藏は元は名主だつたが、うちへ來ては農男をしていた男だから、祖父を笑はせる爲につくりごとをしたとしか思へぬ。
それはどちらが事實だか判らないとしても、兎も角著しい事變の後にはいろ/\な歴史上の疑問が生じて、後に判斷に苦しむ樣な事が出來てくる。然しこれは多くは事變の鎭まつた時に、いろ/\陰謀等の跡を蔽はんが爲めに、勝利を占めた一方の材料だけを採つて記録とするから起る所の結果であつて、若し他の一方即ち敗者の材料を早く集めておくならば、曖昧な疑問が生ずるといふことが比較的少くなる。今日の如く歴史が一つの學問として考へられ、其の眞相を現すことが一つの神聖な仕事として考へられる時代にあつては、殊にこの用意が必要であつて、一時の順逆などゝいふ考へは、神聖な史實の前には極めて微力なものであると考へなければならぬ。
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