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A――そうさ、俺は嬉しいのだ。
津丸はあ、もう、それぞれご遺言を……?
再版序
「分ってる、分ってる。」と弘田啓子が手を振った。
科学と哲学と――吾々の国語は両者を区別する――は今日二つの種類の学問と考えられるのを普通とする。そして恐らく学問に於ける最も根本的な最も屡々必要な区別として人々はこの区別を要求しているであろう。吾々は先ず始めにこの区別に就いて言葉を費す義務を感じる。
ソコデチヤウサンハウサギトシラズニカヒマシタ。
対象と方法とは相互に決定する。その場合、決定が何れから何時始まったか、ということは全く問題になることは出来ない――もしそうでなければそれは相互という概念を破壊する。そうではなくして而も現に已に一方が他方を決定し、かくして決定された他方が更に又一方を決定しているのである。この過程には終りがない。茲に際限ない循環が存在している。けれどもこの循環は無論かの「悪しき循環」であるのではなくして、実に根本的な循環である。何となれば之は思惟に於ける論理的循環ではなくして、相互決定という存在の可能性に於ける云わば存在論的循環に外ならないから。さて、このような何か存在論的なる循環は、方法と対象との間の一つの運動とも考えられるが、併しまだ直ぐには方法それ自身、対象それ自身の持つ運動とは考えられないに違いない。而も吾々が問うていたのは後の場合の運動であった。この循環によっては、対象自身・方法自身はそのまま変化することなく、却って常にその前の自己に還るものではないか、人々はそう尋ねるかも知れない。論理的循環ならば確かにそうである。吾々が或る仮定から結論し、そしてその結論からその仮定を証明する時、それを幾回繰り返しても、仮定は依然として前の仮定であり、結論は依然として前の結論である。もしそうでなければ、もはやそこにあるものは循環ではなくして寧ろ形式論理的矛盾でなければならないのである。処が対象と方法との循環――相互決定は今やこの言葉によって置き替えられる――は論理的循環ではなくして相互決定という何か存在論的なる循環であった。この循環によって対象も方法も変化しない筈であるとは云われない。そして実際にそれは変化する。自然科学の方法にとってその対象は自然的事物であるであろう。自然の事物は自然科学的方法によって観察され、記述され、又説明されると云われている。今まで明るみから匿されていた自然の事物の諸規定は次第に明るみの前へ持ち出される。暗くして恐らく深々と見えた対象は次第に覆いを取り去られ、照らされ、固有の色彩を与えられる。明らかに対象は変化する。暗いものからその反対の明るいものへ運動する。又方法はこの時、始め自然の事物を単に観察するが、やがて之を記述し、次に之を説明しようと企てるであろう。之が方法の変化である。この二つの変化=運動を個々独立には常々吾々は経験しているであろう。併し私が今語ろうとしているのは、そのような個々独立の二つの経験に就いてではなくして、正に両者の相互決定に就いてであった。処がこのような二列の運動をしてそれぞれの運動であらしめるものこそ正に、向の何か存在論的な循環でなければならない。何故ならば、対象も方法もそれ自身の力によって運動するのではない――両者は絶対者や一者やの概念ではあり得なかった。そうではなくして却って常に他から決定されねばならない性質を持ち、相互に他から決定されることによって初めて両者は運動することが出来るのであった。それ故両者の運動は両者の間の循環によって初めて必然性を与えられる。
p.19「地獄変」「野蛮な芸術的法悦に云々」――伸子は野バンナという形容詞にはっとした、それは彼女が感じていたものだったが、ヤバンと云い切れなかったものだった、
**DieProblemederGeschichtsphilosophie-S.89ff其の他参考。
自然科学的世界に就いて与えられたこのような種類の叙述は、相応する変容を之に加えることによって、恐らく歴史学的世界に就いても亦検証され得るであろう。私は之を省く。
という意味なのである。
と、さすがに声の商売だけに、敏感だった。
学生は挨拶をして、ロダンの出した、腱の一本一本浮いている右の手を握つた。LaDanadeやLeBaiserやLePenseurを作つた手を握つた。そして名刺入から、医学士久保田某と書いた名刺を出してわたした。
「われわれをしていたずらに恍惚たらしめる静的美は、もはやわれわれとは没交渉である。われわれはエクスタシイと同時にアンツウジアスムを生ぜしめる動的美に憧れたい。われわれの要求する文芸は、かの事実に対する憎悪美と叛逆美との創造的文芸である。」
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