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伝承性としての教導性と誘導性としての夫とは、一応このようにして区別されることが出来ると思う。但し後者は前者よりも一般的であったから、学問性のもつ教導性として、場合によっては、誘導性のみを理解しても差閊えないであろう。そこで人々はこう云うかも知れない、このような意味で――誘導性という意味で――教え得るという性質は必ずしも学問に固有であるのではない。芸術も(絵画でさえも)或る意味に於て、但し無論第一の意味でではなくして第二の意味に於て、教え得られるではないか、と。というのは、どのような芸術作品も観照者をしてその作品そのものの理解にまで通達せしめる通路を用意するのを怠ることは許されないのであって、この通路に或る意味に於ける異議と曖昧――其は学問の場合の夫とは異って好い――とが横たわっているのであっては、その作品はそれだけ完成を欠いていると考えられねばならないからである。処が吾々はそのような故障をとり除くために、恰もかの説明し得るという規定を思い出す必要がある。学問性の有つ教導性は、言葉を以って説明することによって理由を与え得る、というそれでなければならない。之に反して例えば芸術の教導性は決してこのような説明を与えるものであってはならない筈であろう。そしてアリストテレスによれば、教え得るということはただ聞き得るという条件に於てのみ結果するのである、聞き得るとはこの場合無論言葉をであって単なる音をではない。故に教え得るとは今の場合、向の意味に於て、説明し得るという事に他ならないのである。芥子が眠りを、梟が賢さを、何かの意味で説明するとは云っても、何より先にそれは言葉による説明ではない。詩の言葉と雖も説明するものである筈はない。そして神話に於ける言葉でさえ、説話ではあっても多くまだ説明ではない、――説明は理由を語ることであった、そして神話は多く理由の代りに伝説を語るものだからである*。併し吾々は何も、この教え得る(説明し得る)という規定を以て学問性を定義しようとするのではない。云い換えるならばこの規定によって学問性を規定し尽そうとするのではない。そのようなことは不可能であるであろう。ただ吾々はこの性質を以て学問性の最初の一つの規定としようと云うまでである。であるから、たといこの規定が学問性全体を蔽うのでなくても、少くとも、この規定が学問以外のものにぞくさないことが明らかとなるならば、それで充分なのである。さてこのような意味に於て、そしてただ今云った意味に於てのみ、学問性はまず第一に教え得ること――教導性――である。
浦それやさうですとも、無二のご親友の間柄で、死目にも会はれんといふのでは、残念ですからな。
むかしは誰も彼も、伸びた髪をうしろへ垂らしていたのであるが、そのうち働く女性達には、あまりながくだらりと垂れた髪は邪魔になって来た。
「どうです、散歩しませんか、どつか暖い物をたべる家でも好いんですが、」
科学方法論を私は、学問論乃至科学論の一つの特殊な形態として取り扱うべきであると考える。学問の方法を中枢とした限りの学問理論こそ、恰も科学方法論の名を以て呼ばれているものであり、そして又そう呼ばれることが丁度それに適わしいと思われるからである。それ故吾々は、この書物に於て、まず学問に於ける方法概念の分析から出発する理由をもつ。方法概念の様々の形態、従って又科学方法論の様々な形態は、茲に一般的に予め展開せられるであろう。「方法概念の分析」二篇は吾々の理論に於て、総論の位置を占めると云って好い。
**ロッツェの『応用論理学』は事実、形式論理学的方法論に過ぎない(Lotze-Logik-2Buch参照)。そしてヴィンデルバントはロッツェの論理学に学んだ。
私は振り向いたが、手塚さんは首垂れて眼を伏せていた。
さて、かういふ風に、次ぎから次ぎへと準備を進めて行きますと、今までのわれわれの生活はなんといふ隙だらけな、そして、無駄の多いものだつたかといふことがわかります。
哲学を批判として理解する時(第一の場合)、それは実証としての科学から区別され、それを実証的ならしめる時、哲学は単に総合・集成としての全般的なるものとしてのみ特殊科学から区別される(第二の場合)。そして哲学又は科学を形而上学とする時、両者の区別はただ外面的――外延の大小――にしか存在しない(第三の場合)。吾々は科学と哲学との区別として少なくとも今挙げた三つの場合を、事実上有っているであろう。
「誰にだい。」
人々は普通、一般に因果と合法則性――それは普遍的であった――とを同一に考える。併し因果関係が、経験的に実在するものでなければならない以上、一般にそれは普遍的ではなくして個別的である他はない。経験的実在は個別的――異質的――でしかなかったからである。実在に於ける因果関係はそれ故個別的因果でなければならない。歴史的発展の段階相互の関係に於て、又歴史的事件とその環境との関係に於て、見出される因果関係、それは又この個別的因果関係であるのである。個別的因果を具えた事実(実在)をその個別的因果に於て把握し得るものは自然科学ではなくしてただ歴史科学だけでなければならない。歴史科学が歴史的全体と部分との連関を明らかにし之を云い表わすためには、この因果関係を跡づけなければならないのである。併し歴史家はこの場合単に原因結果の時間的継起を指摘するだけではなくして、この反覆し得ない個別的原因が、この反覆し得ない個別的結果を惹き起こさねばならないというように、一つの必然性を見出す必要があるであろう。この必然性なくしてただ二つの事件の時間的な前後関係を指摘しただけでは少しも科学的意味を得ることは出来ないからである。処がこの必然性を見出すためには、結果と見做されるべき個別的事物を、まずそれに結合している諸々の普遍的な要素に分解し、次に之をば原因としての事物の同じく普遍的な要素に結び付けるのでなければならない。即ち個別的因果を必然的なるものとして指摘するためには、普遍的因果を迂回した上で、個別的原因が個別的結果を惹き起こすことを跡づける必要があるのである。かくすれば、個別的因果の指摘は必然に因果法則を必要とすることとなるであろう。然るに法則は一般化に固有であった。個別的因果を用いねばならない歴史科学はそれ故、もはや単に個別化ではなくして一般化に含まれて了うことになりそうである。かくては歴史科学も自然科学から区別される今まで見た唯一の特徴を失って了わなければならないようである。併し個別的因果を指摘するために必要な普遍的因果――因果法則――は、要するに一つの迂路に外ならなかった。という意味は、因果法則の追跡がこの場合、歴史科学の目的であるのではなくして、ただその目的を達成するために必要な一手段で夫はあるのであった。因果法則は個別的因果の追求という目的の手段としての意味しか持たない。歴史科学は個別的因果に於て、個別的なるものを取り扱うことをその目的としている。その手段として或る範囲の一般化――因果法則のような――は用いるであろう、併し自然科学に於てのように、この一般化がその目的であるのではない。歴史科学の概念構成は、この意味に於て、矢張り個別化である。
現代の日本演劇が、歌舞伎とその伝統の派生たる新派劇を主流とし、劇場文化の全面的水準をここにおかねばならぬ状態は、西洋演劇の技術的伝統が、アカデミックな階梯を経てわが国の劇壇に摂取されなかつたことに基因し、従つて、演劇人たるの夢想は、遂に、文明開化期の青年的野心と相容れざるものがあり、劇場は、果して商業主義の一途を撰ぶ外なかつたのではないか。
わが遠き歴史が、われわれを教へ導いたのはたしかにそれであります。
二十四日ハムプテンのハムレット、和田と三人。(のろのろとして居る和田)和田の不自然な緊張と荒々しさが自分の心を苦しめた。風の激しく寒い日
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