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加来煙さんは?
「新劇」は、今日まで、いろいろのことをして来た。が、ただ「商品」にならなかつただけである。「商品」といふ意味は、金を払つて見に行く価値のあるものといふことである。
二十四日ドクターヒアスに呼ばれる。
二十九日午前中に、宮武が来る。原稿のこと、並、坪内ホームスのこと。
私自身は二十歳すぎから櫛巻のぐるぐるまきにして今まで来ているのを想うと、自分の髪はたなへあげて置いて、ひとの髷となるとけんめいになって研究する――考えてみるとおかしな話である。
冬菜ええ、今、湯タンポを取りかへます。もう一つおいれしますわ。
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いつかKambodschaの酋長が巴里に滞在していた頃、それが連れて来ていた踊子を見て、繊く長い手足の、しなやかな運動に、人を迷はせるような、一種の趣のあるのを感じたことがある。その時急いで取つたdessinsが今も残つているのである。さういふ風に、どの人種にも美しい処がある、それを見附ける人の目次第で美しい処があると信じているロダンは、此間から花子といふ日本の女がvaritに出ているといふことを聞いて、それを連れて来て見せてくれるやうに、伝を求めて、花子を買つて出している男に頼んで置いたのである。
一家族を単位とする生活が、いはゆる家族主義の名のもとに、あまりに、家族本位になりすぎていたことも、かういふ時代に、反省してみなければなりません。国家を形づくる一細胞としての家と家とは、今日まで、ほとんど利害を同じくするところのない他人同士で通つていたのであります。さういふ風にして近所と対立している家の生活といふものには、なによりも、経済と神経の浪費が数へられます。大都市に於ては殊にさうであります。
「宜しい。一しよに這入らせて下さい。」
加来だからさ、いつといふ時刻がはつきりわかれば、その時刻が来るまでは、別のことが考へられやしないかと思うんだ。しかし、『その時』が、今、一番、問題なんだ。頭が、『その時』から離れようとしないんだ。
記述すべき歴史的事件は、人々にとって――但しそれは必ずしも歴史家個人ではない――個別的なものとして、何か夫々特有の興味をもち人々の関心を占めることが出来るものでなければならないことは、明らかである。処で人々が或る歴史的事件に興味と関心を有つのは、その事件が人々の評価している何かの価値――文化価値――に対して何かの意味を有つからである。無論人々は或る事物を評価して之を毀誉褒貶するであろう。併しこの事物を積極的に評価しているにしても消極的に評価しているにしても、この歴史的事件はこの事物――それが評価されて価値となる――に対して、たとい等しくないまでも、とにかく人々が無関心でない限りは、何かの意味を有つことができる。この歴史的事件はこの価値に関係づけられて意味をもつ。価値への関係づけがそれ故歴史的資料を選択する標準となり、之に基いて或る限られたる範囲内の事件のみが記述され得、又されねばならないのである。処が元来人々が個人である以上人々は、他の人々とは無関係に全く主観的に過ぎない評価をしないとも限らない。甲の関心を有つものに対して乙が全く無関心であったり、乙の賞讃するものを甲は誹謗したりするかも知れない。もしそうすれば歴史家は茲に至って、甲に従って好いか乙に従ってよいかを決定する標準を失うわけである。そこで歴史家が歴史的個物を関係づける処の価値は一般的価値であることが必要となる。一般的価値とは但し人々が事実上一般的に認めて評価を下している価値のことである。超越的な理念としてのそれではなくして、事実に於て現実に評価されて現われている価値――国家とか芸術とか宗教とかに現われた――がそれであるのである。歴史家は、人々によって事実上一般に評価されている価値へ或る歴史的個別的対象が関係せしめられ得るか否かを見て、その対象の取捨選択を行なう。それ故彼は一般的価値概念を自ら与えたり、況んや諸価値の体系を組み立てたりする必要はない(それは哲学者の仕事である)。価値関係づけに於ける一般的価値は常に事実的でなければならない。さて資料選択の標準が価値であるとすれば、この価値によって選択された一群の対象が、この価値を標準として、初めて因果関係の連関に於て、統一を得ることが出来るわけである。
大里僕は、そのことを批判してるんぢやないよ。人、各流儀あり、と思つてるんだ。しかし、ちよつと羨やましい心境ではあるな。
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