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p.9駄目だ今夜は云々
と、さすがに声の商売だけに、敏感だった。
二十一日少し曇り気味の風の吹く日。ミスコーフィールドに電話で歎願して、パリセードに行く。
私は呆れた。いったいこれが、新時代の苦悩の代弁者と目される中堅作家の、本当の姿なのであろうか。何かの擬態なのであろうか。私には見当もつかず、呆れて戸惑ってしまった。だが誰も、ふしぎがってる様子はなかった。弘田啓子も、私はすぐにその名前を知ったのだが、また学生上りの若者も、やがて話の元を明かされると、奇遇ねの問答を面白がり、声を揃えて騒ぎだし、まけずに祝杯を干した。お銚子が幾本も並んだ。
「おかしいな、私は其処の蕎麦屋の前で一緒になつて、やつて来て、棚に酒があるといつて、女が取らうとしたが棚が高くて取れないから、私が取つてやらうとすると、女が凭れかゝつて来る拍子に、其処の天井からさがつてる青い紐が首へかゝつて、それつきり知らなくなつたんですが、」
といつて笑つたことを思ひだした。随筆家の友人と話題を多く持つている若い新聞記者とは、糠雨のちらちら降る中を外の方へと歩いていつた姿も浮んで来た。その二人は前晩泊つた温泉町から電報を打つて停車場もよりの家へ某事を頼んであるので、その家へ往つて夜を明かし、自分の家へは翌朝の汽車で帰つたような顔をして帰るといふことになつていた。彼は二人を見送つてから車を雇ひ、随筆家の友人の柿も一緒に積んで大塚の家へ帰つたことを思ひ出した。
大里は、あたりを見廻しながら、にやりとする。
二月一日IdealhusbandをMissWellsと見る。
ほろりとした声になった。女の子は夢中になって、ガツガツと食べると、
学問の――思考のではない――形式を取り扱う学問は形式論理学でもなく又応用論理学でもない。それであるのになお一つの論理学と考えられる理由があるであろう。その理由はこうである。カントの根本思想を借りるならば(この思想が何故今の場合必然性を有つかは後を見よ)、吾々の精神内容は形式と内容との結合として説明される。そして形式は内容の不可欠の条件、その意味に於て論理的予想と考えられる。そうすればこの形式は凡てこの意味に於て論理的でなければならない。そうすれば又学問の形式も論理的でなければならない。そうすれば最後に、この形式を取り扱う学問は今の意味に於て論理学の名に価するわけである。故にもし学問の形式という概念を取り出すならば、それの省察は又一つの――但し形式論理学でも応用論理学でもない処の――論理学であることとなる。思考の論理学――その系列にぞくするものが形式乃至応用論理学であった――に対立する論理学は一般に、客観論理学か先験論理学である。今の場合は先験論理学の名を取ろう。学問形式の理論は先験論理学にぞくする(先験論理学はカントの立場に外ならない)。――処が、学問の形式は、再びカントの立場に立って、学問の方法と考えられる。何となれば形式はカントによれば内容を統制して認識を齎す機能に他ならないが、認識を齎す機能こそ方法ではないのか。学問の形式は学問の方法である。故にカントの立場に於て吾々は次の帰結を得る。方法論――Methodologie-Methodenlehre――は先験論理学にぞくす、と。之が吾々の求めた「或る意味に於ける論理学」であった。故に又科学論は一つの論理学――先験論理学――と見做される理由が明らかとなった*。
生には広義と狭義とがある。僕は今そのもっとも狭い個人の生の義をとる。この生の神髄はすなわち自我である。そして自我とは要するに一種の力である。力学上の力の法則に従う一種の力である。
私達子供の時分は、床屋のへつか――何故へつかと呼ばれたか知らないが――の上げる定九郎凧、開いた傘を背中に背負つて縞の財布を鷲づかみにした人形型の大凧を見て、大入道凧を貼つてあげて見た。西ノ内十枚の大きさはあつたらうか。角凧と違つて縱に長い人形だからひきは弱いが、空中に浮んだなりが、地藏樣のやうだといふので村中の評判の惡いこと夥しい。
お母さんは、もう裏口で洗濯をしている。お父さんは、縁側でぽかんとしている。中風といっても、手足や言葉が自由にならない程度の軽いもので、ただひどく泣き上戸だ。
**この思想はデカルトに於て最も明らかに提唱された。
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