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第二部
「やア」
冷やかな外気を深呼吸していると……突然、あれがまた、眼の中に蘇ってきた。
B――俺はまだ若い。いろんなことを為残している。これまで為して来たこと、これから為すべきこと、ぼんやり夢想していたもの、はっきり掴んでいたもの、味いつくしていない多くの喜びや悲しみ、自分自身の肉体と精神、自分自身の生活、自分自身の世界、それら凡てのものは、今俺が死んだらどうなるだろう。闇に呑み込まれてしまうばかりだ。それがどうして悲しまずにいられよう。
*厳正なる――論証的なる――学問にぞくすることをその特色とする現象学が、本質直観に於てその学問性を保証することが出来ると主張する時、却ってその普遍性が疑われるならば、それは理由のないことではない。
すなわちもっともしばしば犯される行為の種頬を圧伏するために、ある一般的規則を設けることが発明せられた。そしてこの方法のはなはだ経済的なことが分ってからは、なおその他の広い範囲の諸種の行為にも、同様にそれぞれの一般的規則を設けることとなった。かくしてついに今日いうところの法治的支配の基礎が置かれたのである。そしてこの法律を犯さない間は、多少の自由が、被征服者に与えられる。換言すれば、この法律に服することが被治者の義務であり、この法律の違犯にならない行為がその権利であると認められるようになった。
二十七日帰紐、夜逢って、リバーサイドを歩く。
そして、そわそわと逃げるように立ち去った。顔に靴墨の跡を残したまま。
二十日ダディを二時四十分の汽車に見送り、三人で(三浦鍋太郎、矢野)サブに乗り、村川氏に会いたいと云うので、送ろうとするAを強いて一〇三町目でおろす。
九月二十日NewYorkへかえる、家をさがす。暑い日
[#改丁]
別荘の入り口の前に立つと、中から話し声がした。若い女の笑い声も聞こえる。オレはドアをノックした。すぐに答える声があり、ドアは開けられた。ドアを開けてくれたのが高野だった。待ってたよ、高野はそう言うと、オレを奥の部屋へ促す。そこには一緒にアダルトビデオを作っていたスタッフが全員揃っていた。オレは状況を把握することができなかったのだが、ここにいるオレ以外の人間はみんな笑っている。なんだ、これは、オレが聞くと、高野は、マダムが仕組んだんだ、と答える。マダムって誰だよ、オレが突っかかるように聞くと、高野が笑って制する。里奈のおふくろさんだよ。里奈のおふくろさんがお前の会社を買い取ったのは聞いてるだろ。
この単純化に於て、科学の方法は、初めて問題となることが出来る。というのはこうである。リッケルトは実在(事実)に二つの根本的な規定を帰する、連続と異質性。実在は認識以前、科学以前のものであった筈であるから、その点に於て之は非合理的な性質を有っている筈である。もしそうではなくして合理的であるとすれば、それだけ理性的でなければならないわけであり、そうすればもはや概念から独立な直観としての意味を失って了うから。処が連続と異質性こそ非合理性の特色でなければならないであろう。そこで実在に連続と異質性とを帰することは当然でなければならないであろう。実際、実在――存在又は事件――に就いて人々は明確な限界を限ることは出来ないし(実在は次第の推移の他の何物でもない――自然は飛躍しない)、又如何なる実在でも互いに完全に相等しいものはあり得ないであろう。――人々はライプニツが求めた全く相等しい二枚の木の葉の話を思い出すべきである。実在はそれ故、異質的連続――stetigesAnderssein――をなすと考えられる。実在は個別的である。さて科学が実在を単純化するためには、是非ともこの二つの規定の内のどれか一つを捨てなければならないわけである。実在へそのまま近づくことは人々には不可能である、実在は単純化――どれかの規定の破棄――によってのみ通達出来る、ということとなる。そしてリッケルトによれば、異質性を捨てて連続を保存する時、即ちそのような手続き――方法――によって概念を構成する時、数学が生じ、之に反して連続を捨てて異質性を保存する時、即ちこのような別の手続き――方法――によって概念を構成する時、様々の経験科学が生じるのである*。かくて彼によれば数学の対象は等質的連続であり**、経験科学の対象は異質的不連続である。前者に於ては純粋なる量――質を量化した量ではない――が、後者に於ては質――それのみが個別的である――が支配する。経験科学のみが実在に就いての科学と考えられる理由は、この点からして自ら明らかであるに違いない。――之に反して数学は観念的であると考えられる。かくて先ず第一に、数学と経験科学との区別――それは従来主として単に形式的・実質的の区別を以て云い表わされた(ヴントの場合を見よ)――は、即ち両者間の分類は、方法――単純化――に基いて方法論的に与えられる***。
「よっしゃ、はいりイ。寒いのンか。さア、はいりイ」
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